ブルーインブルー最大の海上都市・ジャンクヘヴンの中枢にその建物は位置していた。
 ヴォロスに見られるような、尖塔を備えた高層建築ではない。敷地は横に広がり、そしてそのことこそが、土地の少ないブルーインブルーにおいては権力と富をあらわしている。建物の外壁は美しい青いタイルで飾られ、ゆえに『群青宮』の名で呼ばれる。
 ここが、ジャンクヘヴンを一代で強国にのしあげた太守、バルトロメオ・フーゴ・ミランの居城であり、この世界の政治と文化の中心地であると言ってよかった。
 街が華々しく『海神祭』に賑わう日、群青宮には、他の海上都市からやってきた貴族たちが次々に太守への表敬訪問に訪れている。しかし正午の鐘がなる頃、太守は限られた側近のみだけによる昼餐を催し、訪問者の取次を許さなかった。
「お招きありがとうございます。光栄です」
 その昼餐の客こそ、誰あろう、アリッサであった――。
「聞けば館長になられたとか。ささやかだがその祝いもさせてほしい」
 ジャンクヘヴン太守・バルトロメオは、よく焼けた赤銅色の肌をもつ偉丈夫だ。
 アリッサは物怖じした様子はなく、彼と対面の席につく。
 見事な細工の施された色硝子のカップに、アリッサのための、冷えた果実水が注がれる。
 太守バルトロメオは葡萄酒の入った盃をかかげて言った。
「『世界図書館』とジャンクヘヴンの友好に」
 アリッサは微笑んで、それに応えた。

 群青宮の中庭には土が敷かれ、植えられた緑がゆたかに茂っている。
 水盤には観賞用の小魚が泳ぎ、建物は風通しよくつくられているため快適だった。
 壁には今日のためだろう、「海神祭の伝説」をあらわした絵を織り成したタペストリがかけられている。
 生魚を香草油に漬けたマリネが前菜だった。

 テーブルにつくのは4人だ。
 太守バルトロメオと、アリッサのほか、ひとりは長い黒髪の男性で、今ひとつ年齢不詳の、しかし怜悧な面差しの美男子である。
「フォンス、いつも依頼の取次をありがとう」
「いえ。こちらこそ、ロストナンバーの皆の協力で助かっています」
 アリッサがフォンスと呼んだこの人物は、バルトロメオの相談役をつとめるジャンクヘヴンの宰相だが、実はかつてはロストナンバーであった異世界の人間である。
 今はブルーインブルーに帰属し、世界図書館とのパイプ役を担っていた。
 もうひとりの人物は、アッシュブロンドの髪の壮年で、寡黙にアリッサたちと会話に耳を傾けている。
 アリッサは、彼もまた太守に信頼をおかれている宰相で、名をレイナルドというのだと紹介されていた。

 前菜のあとには、穀物をスープで煮たものと、酒蒸ししたアサリを載せたパスタの皿とが運ばれてきた。
「時に館長殿」
 おもむろに、太守が口を開く。
「お聞き及びと思うが、今、わがジャンクヘヴンとその同盟都市は、転機に立っていると言ってもよい」
「……」
「海賊ジェロームとの戦いは、総力戦となるだろう。その戦いに、世界図書館の助力が得られるならば、そんなに心強いことはない」
 アリッサはそっと、フォンスのほうへ視線を投げた。
 黒髪の宰相は涼しい顔でスープを掬っていたが、静かな声で、
「辺境の小競り合いではありません。戦争に加担するとなりますと、わたくしの一存では判じかねますので」
 と言うのだった。
 フォンスのその発言は、ジャンクヘヴン宰相としてではなく、世界図書館関係者としてのものだ。つまり、ブルーインブルーの行く末を左右する出来事に世界図書館が干渉してよいかどうかは、館長判断だということなのである。
「先般、そちらの皆様がジェロームポリスに潜入し、帰還された武勇伝は存じています」
 アリッサが応えないでいると、レイナルドが言った。
「その際、判明した情報は、此度の対ジェローム戦線の立ち上げに大きく寄与したのです」
 レイナルドは礼を言っているのではなかった。
 海賊ジェロームと本格的に事を構えることになったのは世界図書館の行動がきっかけである――ゆえに協力の義務はあるはずだと述べているのである。

 ソテーした魚の切り身が、メインディッシュだった。
 分厚い白身にナイフを入れながら、太守は言う。
「世界図書館の考え方は余も理解している。だが今までも、ジャンクヘヴンと世界図書館は友好的に取引をしてきたはずだ。……先の館長殿が、お探しだったものについても――」
 アリッサは、思わず食事の手を止めた。
「ふたつの意味で、我らは対価を支払えるだろう。ひとつは、ジェロームが隠し持つと目される情報。そしてもうひとつ……鍵となるものをジャンクヘヴンはおさえている」
「ジェロームが学者たちをさらったり、遺跡を暴いたりして『沈没大陸』の情報を集めているのは知っています。それ以外にも、なにか手がかりが……?」
 巨躯の太守は頷いた。
「《海賊王子》ロミオ。かのものは海賊王の継承者だ。グランアズーロの秘宝こそ、『沈没大陸』の遺産だと言われているのだから」
「……」
 アリッサは、再び、微笑を浮かべた。
「仰りたいことはすべて、よくわかりましたわ、陛下」
「返事はすぐにとは言わぬ。また仮に――直接的な助力が得られなくとも、ジャンクヘヴンと世界図書館の友好は変わらないだろう」
「ありがたいお言葉です」
「もっとも、その場合、ジャンクヘヴンが生き延びられるかどうかも不明になりますが」
 レイナルドが皮肉を付け加える。

 その後は、いたって和やかに、昼餐は終わった。
 ジャンクヘヴンの街は華やいでいる。
 ひそやかに、戦雲が近づいていきているかもしれぬとは、信じられない、晴天の休日だった――。



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螺旋特急ロストレイル

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