ノベル

  聞こえてる?
  覚えてる?
  前にブルーインブルーで一緒になったメイドのサシャだよ

  あの時くれた氷の華
  もう溶けちゃったけど……すごく嬉しかった

  船が難破して 無人島に漂着した時の事覚えてる?
  焚き火を囲んで色々語り合ったね

  キミが本当は優しい人だって信じてる
  意地っ張りで強がりだけど、悪い人じゃないって知ってる

  だから……
  お願い 生きて帰ってきてほしいの

  キミの氷を溶かすのはワタシじゃないかもしれないけど
  この言葉が届くって信じる


「……!」
 グレイズ・トッドは目覚めた。
 声が聞こえた。たしかに、声が。

 真っ暗な空間だったが、そこにいる3人は互いを見ることができた。
 状況は想像できた。
 ワームに呑み込まれたのだ。

 ヴェンニフ 隆樹は、じっと集中し、なにかを感じ取ろうとしているようだった。

 一一 一は、グレイズが目覚めたのに気づくと、
「意地の張り方と諦めの悪さなら正直負ける気しませんよ」
 と、言った。
「……お前は何を言ってるんだ」
「絶対に、連れて帰ります。この3人で。必ず」
「……」
 苦笑のようなものを、グレイズは漏らした。
 なんでだ。なんでこいつらは……

 そのときだった。
 闇の中に、いくつもの声が響いた。そして、どこかから光が射す。

(俺はお前をダチだと思ってる)
(お前がそう思ってなくてもな)
(だから助けにきた)

 ふっ――、とグレイズの頬がゆるんだ。
 同時に。彼の身体がゆっくりと、闇へ沈んでいく。

「だめぇ!」
 一だ。
 一がその手を掴んだ。
「離せよ」
「いいえ!」
 声だ。声が聞こえる。
 隆樹さえ、その声に、わずかに眉を動かした。

(貴方とは一度ナラゴニアに潜入した時に助けて貰ったわね。あの時の借り…今ここで返すわ。)
(感謝しなさいよ、この私が直々に幸せをわけてあげようと言うんだから。)

(どうもー、隆樹はん。ナラゴニアでは、ありがとなー。)
(あの時、隆樹はんがおってくれてよかった、と思うたわ。わいだけやったら、失敗してた。)
(な、今度一緒にインヤンガイいこ。美味しい野菜炒め出す店、知ってるんやで。)

(全くどいつもこいつも……。どんだけ心配掛けてやがるんだ。)
(おい、隆樹。そこにいるんだろ、こっち手伝ってくれや。手が足りねえ。)
(こないだお前の言うこと聞いてやったじゃねえか。これで、おあいこだぞ。)

 声とともに、力が満ちてくるのがわかる。
 外界から流れ込む思いが、この空間では向けられた対象のパワーとなるのだ。
 一も、また。

(また向かい合ってコーヒー飲もうよ 砂糖は入れないで)
(来週なんてどうかな? 今はお互い、たてこんでるから)

(ヒメちゃん! ヒメちゃんと初めて遊んだ秘密のビーチでのヒーローショー、覚えてる?)
(一人二役なヒメちゃん、カッコ良かったし、すっごく楽しかったの!)
(あの時大好きになったヒメちゃんと、もっともっと一緒にいろんなしたいって思ってるワガママなあたしがいるよ。)
(ヒメちゃん、大好き! 帰ってきて!)

(口ばっかり達者なテメェとのケンカはまだ終わっちゃいねェんだよ。)
(再びターミナルの地に足を着けることになりゃァ、その時は)
(「猫と山猫の違い」について、耳にタコが出来るほど語ってやらにゃならんからな。)

「ええ、帰ります。帰りますよ、絶対。……最後まで!絶対に!諦めない!」
「よせ! おまえらだけで戻れ! ……なあ、こんな――壱番世界よりも、邪魔されずに吸収できる世界を教えてやる。だから、だから邪魔なこいつらは放り出せ。俺の記憶の中にある、あの世界をおまえにやるから……!」
 グレイズは一の手を強引に振り払うと、周囲の闇に向かって叫んだ。
 自身が溶け、吸収されるとき、その記憶と意志が赤の王にすこしでも反映すればいい。グレイズはそう願った。
 グレイズのたったひとつの、最後の願い。
 自身が生まれた世界が滅びること――。
 いくつもの声とともに流れ込む力さえ、グレイズはそのために使った。
 隆樹は得た力を、内側からこのワームを滅ぼす手立てを探すために使った。
 一はむろん、3人とも脱出するために力を使った。

 三者三様の異なる意志。

 グレイズの意志により、グレイズ自身は闇の深みに沈んでゆく。
 隆樹の意志は、無限の闇に拡散していった。ワームの体内は果てのない空間だ。このワームを滅ぼすもっとも確実な方法は外側からの攻撃である。隆樹は与えられた力によりその結論に正しく至ることができた。
 一の意志により、かれらは浮上する。外界から与えられた力がもっと多かったのが一である。その余剰は、自身の浮上を明確に望まなかった隆樹のために使われた。
 一と隆樹は現実の表層へぐんぐんと浮上していき、戻る意志のないグレイズとの距離が開いていく。
「グレイズさんっ!」
 一は叫んだ。
 グレイズは応える。
「伝えてくれ」
「えっ」

「別了、小虎――。悪かったな」


「やったよ!! 一さんと隆樹さんが戻ってきた!」
 エミリエの声。
 『赤の王』の傍らに放り出されたふたりの姿が見える。急ぎ、近くで戦っているロストナンバーたちが保護に向かう。
「……グレイズさんは……」
 誰かが問うた。
 しかし、それに答えられるものはいない。
 だん、と鈍い音がした。
 リエ・フーが、水瓶座号の客車の壁を殴った音だった。

 鷹遠 律志が、スカイツリーへと遠い視線を投げた。
「選んだのだな」
 低く、とつぶやく。
「少年。お前の旅に、武運のあらんことを」

  *

 スカイツリー周辺は、上空に浮遊するイルファーンが施した結界に覆われ、一般人からは隔離されていた。
 ゆえにこの中で起きた戦いについて、壱番世界人の知るところではない。
 電波塔にとりついた異形――『赤の王』めがけて、ロストナンバーたちが戦いを挑むのを、イルファーンは見る。そして、塔の最上部に立つふたつの人影。
(ディラック。摂理に反し、今更甦ってどうする気だ)
 かれらにも向かってゆくロストナンバーたちがいるようだ。
 いまだその戦いの趨勢は明らかではない。

 『赤の王』の巨体に喰らいついたのは黒いドラゴン。清闇である。
「折角デケェ身体してんだから盾くらいにゃならねえとな」
 『赤の王』が巻き起こす炎と氷の大半が、彼に襲い掛かり、黒い鱗に覆われた表皮を焼き、裂いてゆく。それでも退くことなく、爪を立て、ブレスを噴きつけて清闇は戦った。
 『赤の王』は雷撃を放つ。
 だがそれは、空中に浮遊する金属片へと伝導し、拡散していった。ジュリアン・H・コラルヴェントが仕掛けたものだ。
 ジュリアンは『赤の王』のうえに接近しながら、絶え間なく風刃を放つ。
 すべてが命中したわけではないが、誤って浮かぶ金属辺を斬ってしまったところ、その破片が偶然にも『赤の王』に突き刺さる――そんな「都合のいい」ことばかり起こるのはルサンチマンの音叉が鳴らす音が招いているのか。

「見た能力全て拾われるのかと思ったが、違うみてェだな。ンじゃぶっ殺しに行くかァ、赤の王をヨ」
 ジャック・ハートは観察のすえ、そう結論づけると、『赤の王』の近くの空域へ瞬間移動。
 そのとき、手の中には大きなレールガンを構えている。
 そしてファイア!
 あたかもそれが合図であったかのごとく、ロストナンバーたちが畳み掛けるように攻撃を重ねる。
「いっけえええ!」
 臣 燕がバラまいた呪符は、燃え盛る炎に、怒涛の波に、荒れ狂う吹雪に、それぞれ姿かたちを変え、『赤の王』に襲いかかる。
「さあ、おいで食いしん坊さん」
 次々にはじける爆弾はスイート・ピーが放ったもの。
「食べたかったらスイートを食べてもいいよ!」
 アナタに食べてもらえば哀しい記憶も消えるでしょ――そんなつぶやきを飲み込みながら。
 体液すべてが猛毒であるスイートを、もし『赤の王』が食ってしまえば、どうなるのかはさだかではない。伸ばされた触手のような蔦は、PNGのレーザー光線に焼かれてしまったからだ。
「赤の王さん手の鳴る方へ! ボクと追いかけっこしましょ」
 旋回しながらロケット弾を撃ち込んだ。

「派手にやってやがる」
 ファルファレロ・ロッソは悪魔のような笑みを浮かべ、自身も二丁拳銃を轟かせる。
 だがその弾はまったく明後日の方向へ。
「ちょっと、どこ狙ってんのよ」
 ヘルウェンディ・ブルックリンが声をあげたが、ファルファレロは顎をしゃくってみせるだけ。
 考えてみれば彼は狙いを外すはずもない。
 ヘルウェンディはファルファレロの狙いがスカイツリーの表面を氷結させることだと気づく。氷はすぐに剥がれ落ち、万有引力に導かれるまま『赤の王』に突き刺さってゆく。
「行くぞ!」
 そしてファルファレロは駆け出す。
「待ちなさいよ、もうっ、派手に暴れて! 尻拭いするのはこっちなんだから」
 こぼしながらもついてゆく。
(壱番世界は私の故郷。NYには家族が……パパとママ、生まれたばかりの妹がいる)
 ヘルウェンディは『赤の王』をにらみつけた。
(この世界を滅ぼさせたりなんてさせない)

  *

 錬金術師ディラック――彼は壱番世界ではじめて、『真理』に到達した人間だったという。
 真偽はさだかではない。
 だがもし、彼より前に覚醒した壱番世界人がいたとして、そのものはとうに消失の運命により消え去っただろう。
 ディラックが今ここにいるのは、おのれの情報を『虚無の詩篇』なる書物の中に分解して保存したからだ。その情報をもとに、復元されたディラックの魂が、ヘンリー・ベイフルックの肉体を得てここにいる。
 それが真の意味で「本物のディラック」と言えるかどうかは議論の余地がある。
 だが、その命題を詳しく検討している暇など、誰にもありはしなかった。

 ディラックは、スカイツリーの頂上に夢みるようにたたずむ。
 その傍らでダイアナは、ロストナンバーたちを次々に返り討ちにしていた。
 老齢の女性の身としては驚くべきことだが、彼女があやつる魔力は強大だ。あふれでるエネルギーは「猫」の姿になり、宙へと駆け出してゆく。そして空中に開いた『門』から次々に召還されてくるカラクリ人形たち。
 『赤の王』そのものに相対するのにも匹敵する過酷な戦場がそこに顕現していた。
 『赤の王』を操れるとおぼしきふたりの首を狙ってチェンソーを振り回して突進してきたコンスタンツァ・キルシェや、小柄さとすばやさを活かして接近し、ガリガリひっかいてやろうとしたルッカ・マリンカ。そして「ヘンリーではなく私の体を使わないか」と取引を持ちかけてきた那智・B・インゲルハイムらを、穏やかな笑みを崩すことさえなく、スカイツリーからゴミのように投げ捨てられる。グレネードランチャーを装備して隠れ潜んでいた坂上 健も見つかってカラクリ人形に追い回されていた。

 だが――

「よくも次から次へと」
 ダイアナの表情にもいつしか翳りが差す。
「コンダクターならまだしも、ツーリストがこの世界を護るどんな道理があるというのです」
「簡単なこと」
 終焉の魔女は、傲岸に胸を張り、ダイアナに答えた。
「……美しくないからよ。こんなふざけた終焉の迎え方、私は認めないわ」
 その声に重なって、ケラケラと笑うのは死の魔女だ。
「面白い魔法をお使いのようですが、生まれた時から魔女である私からすればその程度の魔力なんて玩具の水鉄砲程度のものでしかありませんわ!」
 死の魔女のスカートの中からすでに死した蝙蝠の群れが飛び出し、ダイアナたちへ向かう。
 終焉の魔女は、それには構わず、続けた。
「私の名前は最後の魔女。この世に存在する最後の魔女。私以外の魔女の存在は認めないし、私以外に魔法を扱うものは存在してはならない。……何故なら、私が最後の魔女だから!」
 瞬間――
 魔法が消えた。蝙蝠は死骸に戻っていき、死の魔女自身も巻き込まれて体が朽ち崩れてゆく。
 むろん、ダイアナのカラクリ人形もだ。
 それを好機と、ロストナンバーたちが攻め込む。

「ロストナンバーが今までどれだけの危機を乗り越えてきたか知ってるでしょ」
 今、彼女の前には三ツ屋 緑郎がいる。
「『赤の王』は倒される、ディラックは死ぬ貴方は創世のイブにはなれない、すべてが裏目に出るだろう。貴方は間違えた」
「間違えたですって? この私が?」
「左様じゃ、ダイアナ卿」
 ジョヴァンニ・コルレオーネだった。
「貴女はリチャードを愛していた。しかしずっと寂しかった……その気持ち、儂にもわかる。儂も亡き兄の許婚と結ばれ彼女の気持ちを疑っていたからの。もっと早く出会えていたら貴女の心を慰められたかもしれんと思うと悔やまれてならん。だがもう手遅れじゃ」
「絶望したなら叫べば良かった、孤独なら手を伸ばせば良かった! そうすれば僕たちはきっと貴方に寄り添った! 『ファミリー』の闇も全て、皆で背負うべき咎なんだから!」
「戯言を! 私はこの壱番世界を滅ぼそうというのですよ。この罪を誰が許すでしょう。でもよいのです。すべてが滅びたあと、私とディラック様は虚無の彼方に新世界を築くのですから」
「そんなものを信じておるのか!」
 ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが叫んだ。
「そなたは哀れ、じゃな。つまりは恋という名の現実逃避。ディラックに利用され捨てられるのがオチじゃろうに。カリス殿を悲しませたことは許せぬ」
「それは……それは愛ではないのだ」
 カンタレラだ。クージョン・アルパークに添われてやってきた。
「ディラックを自分に都合のいい理想像として妄想しているだけ。そこにいるのはあなたのディラックではない。どうか、そのことを……」
 気づいてほしい。
 カンタレラは歌った。
 アイルランドの古い歌だ。おそらく、ダイアナも知っていただろう。
「おやめなさい!」
 ダイアナはトラベルギアのストールを振るった。
 クージョンがカンタレラを護る。
 その隙を突いて、緑郎がスタンガンをダイアナに押し付けた。
「!」
 バチン、と閃く高圧電流。
 あっけないくらいに、ダイアナの身体がよろめく。
 その胸から、刃が生えた。
「せめて儂の手で引導を」
 ジョヴァンニの、仕込み杖だった。
「壱番世界は儂の故郷。愛する家族が生きる場所。断じて好き勝手はさせん」
「あ……」
 急速に光を失ってゆくダイアナの瞳が、ディラックをとらえた。
 だがディラックは、彼女を見てさえいなかった。
「もうよいのじゃ……っ!」
 ジュリエッタは、声にならない叫びをあげた。
 天に轟く雷鳴。ジュリエッタのギアが、落雷を呼んだ。とっさに飛びのくジョヴァンニと緑郎。駆け寄ろうとして止められるカンタレラ。ジュリエッタが雷でとどめを刺したのは、大方の想像どおり、ディラックがダイアナを愛することなどないのだという現実を、認識させるよりまえに終わらせたかったからだ。
 落雷に撃たれたダイアナの身体が崩れ落ちる。
「ダイアナ様!」
 カンタレラが、その身にすがった。
「こんな、こんなこと――」
 クージョンが彼女の肩を抱く。
「あんまりなのだ。こんな、こんな、寂しい……可哀想な……あァんまりなのだぁああああ」
 雨が、降り始めた。
 冷たい雨が、スカイツリーに降り注ぐ。

「『旅人』の諸君」
 殷殷と響く、声。そこにいるヘンリーの肉体が発しているはずなのに、どこか遠い、別の場所から聞こえるような声だった。
「何故、私を邪魔だてするか。私こそは『真理に至るもの』。チャイ=ブレと世界図書館の契約が履行されれば、壱番世界が新たな0世界となる。旅人たちはさらなる高みへ旅立つ私のおこぼれに預かることができようものを。だがあくまで私に従わぬというなら致し方あるまい。この世界とともに滅びよ――!」
「そう言われて、唯々諾々と滅びるものなどおるのかのぅ」
 アコル・エツケート・サルマの放つ鬼火。
 不規則な動きで襲い掛かるそれを、ディラックは思いのほか巧みにかわした。だが、ここには大勢のロストナンバーがいるのだ。
 由良久秀が射掛けるボウガンの矢。
 その射撃に乗じてムジカ・アンジェロが撃った弾丸は、炎となってディラックを取り囲み、退路を断つ。
「邪魔するよ!」
 声は頭上からだ。
 ミルカ・アハティアラの転移によって出現したユーウォンと、ティリクティアが降ってくる。
 ユーウォンが鞄から瀝青を撒き散らす。それを避けようとするディラックの傍にはすでにティリクティアがハリセンを手に待ち構えていた。
「視えるわ」
 ティリクティは言った。
「貴方には、もう未来がないってこと!」
「それは私の行く先がまったくの新世界だからだ」
 ディラックが手を突き出すと、見えざる力が彼女を突き飛ばす。
 そのとき。
 リーリス・キャロンだ。上空から最高速度で急降下してきた彼女の姿は、あまりに高速だったので、なにが起こったのかわからないものも多かった。
 ただ、気づいたときにはディラックは倒れ、その胸に開いた無残な傷口から大量の血液が噴出していたのだ。
 リーリスが傍らにたち、その手の中にはまだ脈打つ心臓があった。
 無造作に、彼女はそれを握りつぶす。
 飛び出したのがY・テイルである。
 死にゆくヘンリーの肉体に触れ、魂を引き抜く。その目には、ふたつの魂が複雑に融合し、絡み合っているのが視える。そこへ糸がまきつくのを、テイルは見た。
 それは葛木 やまとの糸だった。
 峻烈にして神聖な力が糸には流れている。魂の、ヘンリーの部分と、肉体とが、糸によって繋がれた。
「ヘンリーの肉体はヘンリーのもの。わしの糸がそれを繋ごうぞ。ディラックよ。お主の運命の糸は既に途切れておる。さあ、大人しく消失の運命に従うが良い」
 床面と、周囲の空間に光輝く魔法陣が浮かぶ。ハクア・クロスフォードがそれを描いた。
「そうだ、出てゆけ、ディラック」
 見れば、ヘンリーの傷が再生してゆくではないか。これも含めて、リーリスがもくろんだのだろうか。
「ヘンリー・ベイフルック」
 ドアマンの声が呼ばわる。
「そなたが守るべきは何か? 誇りと魂の輝きを示せ。そしてディラックを追い出せ――」
 傷の塞がったヘンリーの胸のうえにドアが開いた。ヘンリーの魂が、そこに吸い込まれてゆく。同時に、融合していた別の魂が分離を始め……
「いただきました」
 ラス・アイシュメルが、それをわしづかみにした。
 ラスがその魂を吸収することで、ふたつの霊魂はついに分かたれたのである。

  *

「ギガボルト!!」
 ロイ・ベイロードの雷撃が炸裂する。
「今、ここで終わらせる!!」
 神獣変化の力により、白き獅子へとその身を変え、『赤の王』へと突進してゆく。
 ダイアナが倒れ、ディラックが倒れ……各地に出現した敵も駆逐され……その報を受け、ロストナンバーたちは最後の気迫を込めてぶつかっていった。
「この壱番世界が好き! 現代叙事詩に似てるからじゃなくて、私の好きな皆さんの故郷だから!」
 炎をまとう剣で斬りかかる藤枝 竜。
「だから、この王様だけは絶対に倒します!」
 最大出力の炎を、すべての力をこめてぶつける。
 不死身かと思えた『赤の王』の体組織が、苛烈な攻撃に爆ぜ、消し飛んでゆく。
 巨大化したシーアールシー ゼロが、東京の空に顕現した女神のように浮かんでいた。展開される極限エニグマシールド。
 無数の光弾が、分裂を繰り返しながら飛来し、『赤の王』へと突き刺さってゆく。それは無限ヴォイニッチキャノン――高密度に圧縮された情報の塊であり、1立方ミリメートル内のその情報量、実に五百千万億那由他阿僧祇バイト。ゼロの演算により瞬時に生み出されたその圧倒的情報質量は、「意味ありげで実は無意味」という、対イグシスト用嫌がらせ兵器であった。
 ばちん、と水風船が弾けるように――
 『赤の王』の一部が爆ぜた。
 それは連鎖的に繰り返され、その頻度と規模が加速度的に駆け上がってゆき……ついに、微塵に爆裂四散した。
 すさまじい衝撃とともに飛び散った破片は、その最中もさらに爆裂を続けており、やがてまったく無意味な情報単位に分解していった。

 『赤の王』は、消滅したのである。







 四散した『赤の王』の名残は、ジャバウォックが倒されたことで天候が回復した空から差し込みはじめた陽光に反射して、きらきらと輝いていた。
 花菱 紀虎はそれを見上げて、なにか、いいようのない思いにとらわれる。
「終わった……のか。……護れた、ってことか。この世界を……」
 眼下に広がる、都市。
 俺達の世界。俺達の街。そんなことを、ずっと忘れていたような気がする。
「あの子も俺も……どんなに世界に違和感を感じてもやっぱりこの世界が帰るべき場所なんだ」
 なぜか、泣けてきそうになって、紀虎は空を見上げた。

 そういや、ずいぶん大暴れしたけど、これって、ニュースになったりするんだろうか。
 それとも、これもまた『旅人の外套』のおかげで、気にされないのだろうか。
 わずかな、情報の片鱗、残滓だけが、うっすらと人々の記憶にあり。それに尾ひれがついて変化していったりしたら。

「『世界を救った大学生』……いつかそんな都市伝説ができたり――なんてね」



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螺旋特急ロストレイル

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