【赤の王、目覚める時】五重螺旋の檻で
オープニング
――ねえ兄さん。ミステリにおける「双子」の役割って何だと思う?
――普通に考えて、一人二役トリックだろう? あるいは、入れ替わりかな。
――うん、双子の登場人物が出てきたら、彼らは「必ず」入れ替わるんだよ。それは、よく似たきょうだいでも使える手なんだけれども。
――何が言いたい?
――ぼくと兄さんだと年が離れすぎてるから、それができなくて残念だな、って。
† † †
その日、アーグウル街区を訪れたロストナンバーは、ふた組。
ひと組は、現地探偵カイ・フェイの案内のもと、氷のアルハンブラ宮殿と化した美麗花園(メイライガーデン)へ。
もうひと組は、特に案内もないまま、人目を避けるようにして異界路(イージェルー)へ。
異界路に建つ異形の洋館ホテル、螺旋飯店(ルオシュエンホテル)へと、赴いたのだった。
螺旋飯店の支配人室で、黄龍ことベンジャミン・エルトダウンは彼らを出迎えた。傍らに控えた四人の従業員たちも、無言で頭を下げる。
「ようこそ、螺旋飯店へ。……といえる状況ではなくて、申し訳ないね」
月の王の虜囚となっているはずのベンジャミンがなぜここにいるのかを、彼ら――螺旋飯店の探偵バッジを持つ四名は、とくに驚くでもない。
「つまり」
もとより、ムジカ・アンジェロにとっては既知のことである。
「今、人質となっているのは、あなたに変装したロバート卿のほうなんだね?」
「ロバートさんはベンジャミンさんも壱番世界も護るために、この計画を……、だけど」
相沢優は、唇を噛み締めた。
「このままだと、ロバートさんが危険なのに」
(傷ついてくれないか?)
あれは、そういうことだったのかと、ロバートから受けた『依頼』を、あらためて優は思う。
「今、壱番世界に向かっているロバートは影武者か」
由良久秀が煙草に火をつける。
「メガちゃん、だったっけ?」
エレナが言い、ベンジャミンは頷いた。
ロバート卿の忠実な執事、金属の膚のメガリス。流動的な変化が可能な金属の身体を持つ彼が、ロバート卿に扮し、ダイアナに屈したふりをしているのだと――
「みんなは獅子座号をジャックしたのがロバート卿だと思って――追跡部隊が出発してますよ」
優が言った。
続いてムジカが整理するように話す。
「ロバート卿が偽物だと露見してしまえば、ダイアナは騙されたことに気付く。本物のロバート卿の命がますます危ない。追跡隊が失敗して偽ロバートがダイアナに接触したら……メガリスはどうするつもりかしらんが、その場合も同じことだな」
「だが時間は稼げる」
と、久秀。
「わずかな差だ。考えれば考えるほど支離滅裂だ。ロバート卿の計画とも思われないな」
「まったく」
ムジカの言葉に、ベンジャミンは自嘲めいた表情で頬をゆるめる。
「兄は堅実な気性で、今まで、勝てる勝負しかしようとしなかった。それはビジネスパーソンとしては当然のことなのだが」
ベンジャミンのいつもの快活さは抑制され、ことばの響きにも焦燥のいろが濃い。
「にも関わらず、こんな小説めいたトリックを用いた大博打に出ようとはね」
それでも、完全に失ってはいないのだ。“名探偵”ゆえの、斜にかまえた余裕を。
ムジカもそれを受けて、あえて、微笑む。
「これはエルトダウン兄弟からの、事件解決依頼ととらえていいのかな? ――では、考えるとしようか」
“探偵”ゆえの解決方法が、きっとどこかにあるはずだから。
ご案内
ベンジャミンの意外な(?)告白。この『真相』をどのように利用するかはみなさん次第です。
このパーソナルイベントは、シナリオ『【赤の王、目覚める時】太陽を喰らう月』『【赤の王、目覚める時】黄金の獅子は哭く』に連動していますが、『月の王』と対峙してロバート卿(本物)を救うのはあくまでも『太陽を喰らう月』の参加者のみなさんであり、ロストレイル獅子座号を追いかけているのは『黄金の獅子は哭く』の参加者のみなさんです。
ここにいる4人の方にできることはなんでしょうか。……あるいは、「なにもしないこと」がもっとも正しいのかもしれません。
みなさんは世界間の移動は可能であるとします。
!注意! |
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こちらは下記のみなさんが遭遇したパーソナルイベントです。 ●パーソナルイベントとは? シナリオやイベント掲示板内で、「特定の条件にかなった場合」、そのキャラクターおよび周辺に発生することがある特別な状況です。パーソナルイベント下での行動が、新たな展開のきっかけになるかもしれません。もちろん、誰にも知られることなく、ひっそりと日常や他の冒険に埋もれてゆくことも……。 |
※このパーソナルイベントの参加者 ・ムジカ・アンジェロ(cfbd6806) ・由良 久秀(cfvw5302) ・相沢 優(ctcn6216) ・エレナ(czrm2639) |
※このパーソナルイベントの発生条件 ベンジャミン・エルトダウンから『探偵バッヂ』を与えられていること |
なお、期限までにプレイングがなかった場合、「状況を見守った」ものとします。
■参加方法
プレイング受付は終了しました。
ノベル
臨時の「探偵事務所」となった、螺旋飯店支配人室。
由良久秀は、ずっと不機嫌だった。ソファに浅く腰掛け、煙草に火をつけてはねじり消し、やがて、我慢できずに立ち上がる。
「脅迫への対処が可能なら、素直に身代金を払う義理はない。それだけのことだろう」
――根本的なことを聞かせてもらおう。
由良はベンジャミンを睨む。四人の従業員たちが警護についているこのホテルは、鉄壁のセキュリティを誇っている。ここにいる限り、ベンジャミンは安全なはずだ。
「俺たちは何をすればいい。『探偵』として、と、あんたは言うが、こんな局面で探偵にできることなぞ、たかが知れている」
「ベンジャミンさん。隆から連絡が」
相沢優が、トラベラーズノートから顔を上げる。
「アーグウル街区の警察に協力要請できないかって言ってます」
「なるほど。きみの友人は現実対応能力が高いね。たしかに、こういう事件を収束させ得るのは、本来は軍隊なり警察なり、そういう組織だろうから」
電話をかけはじめた黄龍に、由良は眉をひそめた。
「警察は役立たずだから探偵を頼んだんじゃないのか」
「……そうだね。これは矛盾だ。きみたちには申し訳ないと思っている」
「おい」
「出来ることなどないという、きみの言い分は、とても正しい。きみたちに打ち明け、助力を願うのはもとより筋違いだ。だからこそ、一くんには知らせなかった」
「なら、あらためて、理由を聞こう」
「依頼人が探偵を頼るのは、問題解決以前に『話を聞いてほしい』からだよ。もとより私は、探偵の仕事とは、依頼人の話の傾聴が7割を占めるのではないかと考えている。そういう意味では、私はあまり良い探偵ではないけれどね」
黄龍は薄く笑う。
「事件さえ解決できれば、話なんか聞かなくてもいいんじゃないのか?」
「結果がどうなろうと、真剣に話を聞いてくれ、奔走してくれた探偵を責める依頼人などいないものだ」
「……ファンちゃん」
エレナがそっと、黄龍の顔を見上げる。
「顔色が悪いよ。お兄さんが心配?」
「実はそうなんだ。情けないことに」
ベンジャミンの笑顔が、力ないものに変わった。
「兄を止めなかったことを、後悔してさえいる。……私の身代わりになった兄に万一のことがあったら、どうすれば」
「大丈夫だよ。助ける。助けてみせる。ファンちゃんがあたしたちを呼んだのは、不安だったからでしょう? 誰かに話を聞いてほしかったからなんでしょう? 打ち明けられるひとが、あたしたちしかいなかったんでしょう?」
――五重にもつれた螺旋を俯瞰してくれる存在が、ほしかったんでしょう?
がんばるから。
みんな、がんばってくれてるから。
エレナもまた、トラベラーズノートを開く。
ベンジャミンとロバート卿の入れ替わりを伝え、助力を請うのは、北極星号にいる深山馨だ。
そして、大胆にも――ベルク・グラーフへ。
「あなたは王になれないわ。だってあたしたちが、幻想を打ち砕く」
はたして彼がノートを開くかどうかは、わからないけれど。
† † †
「メガリスから、返信がないな」
ムジカ・アンジェロはずっと、歯車がきしむような何かを感じていた。
メガリスから獅子座号の目的地を聞き出して、ダイアナを待ち伏せしようと考えていたのだったが。
そして、
“何故、月の王に、自分たち五人を調査させたのか”
それだけを問おうとしていたのだが。
「俺もです。ヘンリーさんが本当にそこにいるのか、確認しておきかったんですけど」
優も困惑していた。
ロバート卿に扮した執事からの連絡は、ずっと途絶えたままなのだ。
じわりと響く、不協和音。
どこかに歪みが生じている。
「レディ・カリスに会ってくるよ」
それだけを言いおいて、ムジカは螺旋飯店をあとにした。
無言で、由良が同行する。
† † †
赤の城へ向かうふたりの前で、突然、馬がいななき、馬車が止まった。
窓から顔を出しているのは、まぎれもないレディ・カリスだ。
由良の目が、怪訝そうに細まった。出立前に会ったとき、美しく結い上げられていた彼女の金髪は、無惨にも、肩上で切られていたのだ。
「何かあったのか」
「その髪は?」
「こんなものはどうでもいいの。それより――乗りなさい、ふたりとも」
そして馬車は、告解室へと走る。
† † †
「ベンジャミンさん!」
ノートを確認し、優が歓声をあげた。
「ロバートさんの救出に成功したそうです」
ベンジャミンは一瞬だけ、泣き笑いの、少年めいた表情になる。
「怪我は?」
「重傷みたいですけど、意識はあるし、命に別状はなさそうだって」
「……そうか。よかった。ありがとう」
「お礼は隆たちに言ってください。ひとりで肩かすの大変みたいなんで、俺、医務室に運ぶの手伝ってきますね」
† † †
――そして。
そして、彼らは。
告解室に隠された秘密を、見ることになる。
優は、ロバート卿の希望により、隆とともに向かった、その足で。
ムジカと由良は、レディ・カリスとともに。
足元には、ヘンリーの肉体が横たわっている。
いや、ヘンリーに見せかけた、ナレッジキューブ製の偽物が。
本来の計画はこうだ。
メガリスはロバートに変装し、偽物のヘンリーをダイアナに渡す。
ロバートは、次点の「器」としてダイアナに狙われているベンジャミンを護るため、入れ替わる。
――それですべてが、護れるはずだった。
だが。
メガリスが実際に運びんだのは、本物のヘンリーのほうだったのだ。
ロバートは見誤っていた。
メガリスは、壱番世界などよりも、ロバートが大事だった。ロバートの命だけを、護りたかったのだ。
「すまない、エヴァ」
ロバートが膝を折る。
「僕は、壱番世界もヘンリーも護るつもりだった。きみが殺しそこね、僕も殺しそこねた彼を――今度は、今度こそ」
すまない。きみにも。一にも。巻き込んでしまった『探偵』たちにも。メガリスにも。
僕は、失敗した。
「あなたがすべてを引き受けることはなかったのです、ロバートおじさま」
震える声が、こぼれる。
――私たちはディラックを、倒さなければなりません。
「ダイアナ卿は、愛してやまない男を復活させるため、ヘンリーを器としました。そんな邪恋の成就を、私は認めない」
レディ・カリスは聖杯の剣を抜き放ち、ヘンリーの心臓に、深々と突き刺した。
† † †
「……ファンちゃん」
ムジカからの連絡で知ったことの成り行きを、エレナはベンジャミンに伝える。
「ありがとう」
ベンジャミンは、ただ、そういった。
この過酷な檻をともにし、見届けてくれた探偵たちに、
ありがとう、と。