オープニング

 ――あか。
 眼の前の世界には、それしか無い。鮮烈な単色で塗潰された地表。
 遠くの山山も、近くの森林も、全部に堆積して圧し掛かって染めている。風吹けば砂粒よりも微細で乾いた粉がさらさらと舞って流れて、幽かに容を変えた。
 藍の空は深夜を告げていたけれど、月影を照り返した物か朱色がじわりと光を帯びていて、やけに空気も澄んでいるから、いっそ真昼より視界が好いと想う。
 ――雪、か。
 朱い雪原。外に誰も居ない、静かで寂しい、見知らぬ様な馴染み深い様な。
 悠久に亘り案山子の如くずっと立っていただけなのか、彷徨い続けた挙句偶さか往き着いたのが此処なのか、それすらも判然としない。
 だが、此の侭呆けていても仕方あるまい。何処か、誰かの居る処へ往こう。

 ※ ※ ※

「お前は、誰?」
 わたしは、わたしだ。
 確かに存在する事をお前が認めているのだから、其の上で誰も何も無い。
「何色にも染まらない、孤独で真っ白な――」
 ……? こど、く。
「――そうね、”レタルチャペ(白い猫)”」
 何だそれは。
「おまえの名前よ。な・ま・え。無いとお前の事を喚ぶ時不便でしょう?」
 ――! …………おい。
「なあに」
 縮んだ。
「きっとそれがお前の正しい姿なのよ。――ふふっ、可愛い」
 …………。
「あははは! 私は”ソヤ(蜂)”。おいで、レタルチャペ」

 ――これは……レタルチャペの記憶。
 ころころと笑うソヤにレタルチャペと聲を掛けられ、終はそう想い到った。
 時に雪原を見渡し、時にソヤを見上げているように感じても、それは懼らくレタルチャペが経験した出来事で、其の視点に自分が重なっているのだろう。
 追体験とも云うべき主観的で断片的な情景は唐突に切り替わり、終を翻弄する。
 ソヤと共に過ごした平和な日日――カムイコタンに巨大な熊が迷い込んで暴れた時、それを易々と殺した――無駄な殺生を戒めるソヤの厳しい顔――そして、
 ――戦。征夷軍、か。
 強力なカムイ――レタルチャペ――を伴うソヤは、戦に誘われては断り続けた。
 彼女は諍いを何よりも厭うていた。別の方法を模索すべきと常々訴えていた。
 だが、前線に巫者が不足するとそうも云っていられなくなった。
 已む無く参戦したソヤとレタルチャペは目覚しい活躍をみせ、それは味方の士気を上げた。戦況は覆り、神夷の民は征夷軍の攻勢を圧し返した。

 ※ ※ ※

 ソヤ。
「なあに」
 何故奴等に着いて往く。”きゅうせん”とは何だ。
「戦を止める事。彼等のマチヤ(街)で其の為の話し合いがしたいのですって」
 何故ひとりで出向く。
「モシリカムイ(将軍)が、私と一対一で会いたいそうよ」
 ならばコタン(里)に居るエカシ(長老)を通すのが筋では無いのか。
「エカシは腰が悪くて遠くへ往けないから」
 せめて一言識らせて置くべきだろう。
「きっと耳を貸そうとしないわ。それに……これは内緒話だから」
 殺す事に疲れたか。
「シャモ(異国の者)だって同じアイヌ(人)だもの。少なくとも話し合いから私が戻るまでは攻め込まないと、約束してくれたわ。彼等も疲れているのね」
 ソヤは優しくて賢い。だが自分以外の者を信じ過ぎる。油断するな。
「有難うレタルチャペ。平気よ、私にはおまえがついてる」

 ※ ※ ※

 ――何だ。急に暗く……?
 黙々と役目をこなす侍達に引き連れられて、西国の、懼らく花京に這入った直後、終の視点は頭から袋でも被せられた様になった。又場面が変わったのだと想うが、だとすればこれは当時のレタルチャペが何らかの制限を受けていた事になる。
 実際、レタルチャペは抵抗を示していたらしかった。

 ソヤ、私を出せ! ソヤ!
(少し大人しくしていて)
 あきはらとやらは邪な匂いがする。一目で判った筈だ! 外道、今直ぐ――、
(お願いよ。お願い……)
 止せ! 私を――…………。
(少なくとも、これで、私が帰る迄、戦は、)

 ――っ!?
 終は激しい痛みに震える想いがした。何処が如何と云うでも無いが、兎に角痛くて、辛くて、気持ち悪くて、厭で、哀しくて堪らなかった。
 でも、ソヤの強靭な意志と霊威がレタルチャペを、終を、内に封じ込めて。
 でも、其の所為でソヤが強く感じた事が此方に迄滲んで伝わって来て。
 其の何倍もソヤが苦しいのだろう事が判って。如何しようも無くて。

 ソ……。
(ごめんなさい。私の術が弱い所為で、お前に迄辛い想いを)

 ※ ※ ※

 又、唐突に、急速に景色が移ろう。

 気がつくと、終はソヤに宿った侭、白粉臭い町中をふらふらしていた。
 建物もやけに色鮮やかで、華やかなのに、頽廃的なほの暗さを感じる通り。
 ――色町、なのか。
 道往く人人は皆着衣の乱れたソヤを一瞥しては目を白黒させて擦れ違う。
 それを誰かから聞き付けた物か、やがてソヤの前に侍――同心か何か――が二人立ちはだかり――直後彼等の元に神夷とも西国ともつかぬ風体の一団が現れて。
 ――あれは……槐。
 終が見慣れた目鼻立ちの優男は、併し黒髪で、目元に何処か険が窺える。
 一団が侍を引き留め、其の隙に槐はソヤの手を引いて路地裏へと逃げ込み、其処で飛び出したレタルチャペに襲われかけて、ソヤの制止が木霊した。

 次の場面は、何処かの和室。

 布団に寝かされたソヤの元に座す槐と町娘らしき着物姿の小柄な女性が付き添い、其の後ろでは簪や櫛で飾った美人画から抜け出した様な女性が、開きかけの襖に寄りかかって煙管をふかしている。
 昏昏と眠り続けるソヤの中で、終は彼等の会話を耳にした。
「――見方を変えれば此方の女性が花京に居るのは好機かも識れない」
「好機だ? 真逆……城の中にこのズベ公とカムイ連れ込んで将軍の寝首掻こうって腹じゃねえだろな」
「いけませんか」
「手前……!」
「神夷征服を止める最も確実な方法です。戦が鎮まれば神夷の民が脅かされる事も、西国の財が悪戯に消耗する事も無くなります。征夷軍とて同じ事。彼等の多くは鍬や鋤の代わりに槍を持たされた只の農民。年貢の如く徴用されて嫌嫌乍ら一握の武士に隷属させられている現状を覆せば当人達も家族も苦しまずに済む――其の凡てが暗愚な男一人の血で贖えるのですよ。代償としては安過ぎる程だ」
「巫山戯ンな! 手前はいっつもそうやってな、一等簡単な遣り口ばっか、」
「ちぃいと静かにしておくんなんせ。……病人が起きっちまいやすよ」
 槐と町娘の口論を煙管の美人が細い紫煙を吐き乍ら窘めたが、
「――その為に私を利用するのですか」
 其の時既にソヤは意識を取り戻し、横たわった侭、善く通る聲で割り込んだ。
 美人が「ほおれみた」と意地悪く云うので、町娘は口を尖らせる。
 槐は取り立てて悪びれた様子も無く、ソヤに視線を遣る。其の表情にあの親しげな微笑は含まず、顔が凡て明らかとなっているのに現在の半鬼よりも遥かに近寄り難くさえあった。
「貴女さえ其の気なら、今直ぐに戦を終える事も容易いでしょう。これ以上故郷と同胞が傷付くのを防ぐ為にも――」
「お断りします」
 ソヤがあまりにもきっぱりと云うので、槐は少しの間何も云えなかった。
「――貴女は聡明な方と御見受けします。先程の内容を聞いて、何か、」
「お断りします」
「……理由をお聞かせ願えますか」
「『あなた方』を利用したくないからよ」
 以後も似たような遣り取りが繰り広げられ、槐とソヤの問答は町娘と美人が呆れて退席しても尚、延々と続けられた。ソヤは頑として譲らなかった。
 終はソヤから抜け出していたが、終わりの視得ぬ口論が退屈なので、彼女の膝の上で丸くなっていた。
「――だからこれは利害の一致なんだ」
「ですから、あなた方の都合が神夷の平穏とは所在を異とするのにも係らず、それを理由に手を取り合おうと云うのは筋が通らぬと申し上げているのです」
「同じ結果に帰結するなら問題にならない筈です。……貴女の思想や在り方を真っ向から否定するつもりはありませんが、それに縛られていては戦に――」
「あなた、鬼ね」
「――!」
「はかりごとにばかり腐心しては駄目。いつか大切なものさえ盤上の駒と成り果てますよ。そうなれば傷つくのはあなた自身でしょう。わかっているくせに」
「貴女に説教される筋合いは無い」
「では筋合いのある御仁を御呼びして下さい。その方に云って戴きますから」
「残念乍ら心当りはありません」
「ふふっ、冗談よ。もっと心を気楽に、自由になさいな。私や――この子のように」
「縛られているのは僕の方だと仰るのですか」
「さあ? 貴方の事など知りません」
「…………」
「ふふっ、ふふふふ」

 ――…………。

 ※ ※ ※

 ソヤと終は槐以下数名の旅人達に連れられ、何処かの山道を歩いていた。
 其の中にはあの町娘――伊勢と謂う名らしい――も居たが、先の情景に居た美人――燕太夫――はロストナンバーでは無いのか、姿が見えなかった。
 今、一行はソヤの「帰りたい」と云う願いを聞き入れて、人目を忍んで街道を避け乍ら神夷の地を目指している処だった。
 結局あれから槐はソヤを説得出来ず、仲間達の支持も得られなかった為、城攻めは叶わなかった。この事が不服だったのか、槐は口数が激減していた。
 併し旅の最中、ソヤは殊ある事に槐を気に掛け、終も彼に善く懐いていた。
 槐と接する際、ソヤの心は日向の様に温かくて、酷く居心地が好かった。
 其の様子を見た外の旅人達も冷やかしがてら槐と接する機会が増え、からかわれる事にも心地好さを覚えたのか、次第に槐は笑顔を見せる様になった。

 そうしてもう数日で西国と神夷を分つ境界の森に到着すると云う、或る夜。
 こんな出来事があった。

「これを」
「カムイランケタム――かねがね聞き及ぶ、神授の小太刀ですね。拝見します」
「みるだけで善いのですか?」
「とは?」
「貴方に持っていて欲しくて」
「そんな――これは貴女を、神夷の巫女を象徴する大切な品物だ。戴く訳には」
「あら、あげるだなんて一言も云ってないわ」
「……からかうのは止して下さい」
「それも間違い。……そう、ね。こうしましょう。何故私がこれを貴方に預ける気になったのか――いつかそれが判ったら、返しに来て下さい」
「併し、」
「貴方の生業は道具が道具である事を大切に保つ事でしょう」
「如何にも。ですが、」
「なら、貴方は私と、私達カムイコタンの民と同じ。貴方の処に在っても同じ」
「……いつも以上の難問と云う訳だ。善いでしょう、お預かりします」
「大切にして下さいね……?」
「云われる迄もありません」
「うふふ」
「何か可笑しかったですか?」
「知りません。ふふふ。ふふふふふ」
「――ふ」

 ※ ※ ※

 咽返る程の埃に血煙と屍臭が雑ざる。
 意気を奮う歓聲、殺意迸る怒号と断末魔の悲鳴、剣戟の――過ぎ去った気配。
 ――又、戦場。
 だが、凡ては眼の前の光景から導き出した過去の想像、或は幻聴だ。
 其処は以前視た戦の渦中では無く、只、荒野と真新しい躯が数多転がるだけの現場でしか無かった。其の悉くは不自然に身体が捻り切れていたり、巨大な鎚か何かで叩き潰されたり、鋭利な刃物でばらばらに刻まれていたりと、凡そ人の仕業とは想えぬ無惨な方法で殺されていた。
 死んでいるのはどれも神夷の民である事を着衣から辛うじて窺う事が出来た。
 ――西国は最初の約定すら。違えて。
「そん、な」
 ――ソヤの居ぬ間に、襲撃を。
 ソヤがへたり込む。
 ――……っ!
 心が急速に冷たく張り詰めた空虚で満ちて、それが終にも流れ込んだ。
 そして虚の中に素粒子の如く次次と憤怒、慙愧、絶望、悲哀の焔が上がる。それらは大きくなると溶けて絡まり渦となって、昏く寂かに厳かに力強く。
 終の中で廻り続ける。

 槐がソヤを助け起こして仲間達と話していた。伊勢が必死に捲し立てていた。
 併し、終は上の空のソヤに感化された所為なのか、まるで浅い水底にでも居る様な心地で、水上のぼやけた聲から、何ひとつ聞き取る事も出来はしなかった。

 只、己の内に生じた黒渦が広がらぬ様にするので精一杯だった――。

 ※ ※ ※

 其の後の事は判然としない。
 ソヤは槐達のお陰で神夷の民と合流し、其の際に彼等を西国の間者と疑う同胞達から気丈に庇い立てしたりもしていたが、何一つ言葉と喚べる程明確な思考は内面に存在しなかった。其の影響なのか終の心もソヤに出会う以前のそれに近付き、あの黒い渦と共に大雑把な意思のみが浮き沈みするだけだった。

 気が付けば戦場の只中でソヤに繰られる侭、内に或るそれを獰猛に解き放って居た。征夷軍はソヤばかり狙い撃ち、終は彼女を護る為――否、矢張り暴れたいが為に派手な身形をした侍と雑兵を何人も何人も殺した。
 敵の動きに違和感を覚えたが、どうでも良かった。只、殺戮の限りを尽くした。
 ソヤもまた、自ら名乗りを上げて敵を引き付けた。
 より多くの血飛沫が終の真っ白な体躯を赤く、朱く染め上げた。
 ソヤは戦が大嫌いだった。何時でも他人の血を悼み、平和な暮らしを望んだ。
 だが、今は招いた征夷軍共を屠る為に屠る事しか考えて居なかった。
 其の事が哀しくて、終は振り切る様に戦場を駆け抜けて、凡てを殺した。

 群がる敵勢を粗方蹴散らした頃、終の背中に厭な物が走った。
 征夷軍の本陣から、己の本質に近しい理力が猛り狂って此方へ向って来る。
 ――拙い! ソヤ、一旦此処から、
 警告しようと主を振り向いた時、それは既に始まって居た。

 巨人の軍勢が大地を踏み鳴らして行進するかの如き轟音。地割れ。ぶつんと巨木を引き千切る様な不快音。ソヤ達より前に出ていた巫者の頭が肩の高さ迄潰れた。彼女のカムイは内から爆ぜて四散し、周辺に居る民兵は全身を無造作に殺ぎ落とされ、或は胸に腹に脳天に大穴が空き、或は四肢が奇妙に捻れて。
 突如放たれた死の扇は神夷軍全域に広がり、其処彼処で耳を覆わんばかりの阿鼻叫喚が迸って数多の血溜りと骸が瞬く度に断続的に戦場を埋めていった。
 其の間に終はソヤの身に宿り、自ら金氣を放射して彼女を護った。
 直後、魔除けの着物を着た数名がソヤを押し倒して覆い被さり、肉の盾となった。
 ――止せ!
 制止の聲には肉が潰れたり骨が砕ける音と、赤やら肌色やら黄やらの生温かい液体が応答した。彼等の血肉はソヤの身体を朱に染め上げる代わり、如何なる物からも護り抜いた。或はそうした術なのかも識れないが、終には解らなかった。

 やがて、耳障りな静寂が訪れた。

 躯の下から這い出すと、先日見たのとほぼ同様の光景が広がっていた。
 生きている仲間は居るのかとソヤを護った者達を振り返って、終は愕然とした。
 それは、花京から此の地迄の道程を共にした、ロストナンバー達だった。
 神夷軍に紛れ込んでソヤの事を護っていてくれたのだろうか。ならば外の者は。
 ――槐は無事か。伊勢は何処だ! 
 過去の出来事である事を忘れ、終は慌てて周囲を見廻す。
 誰も、居ない。生きた者は遥か土煙の向うに布陣する征夷軍だけだ。
 ――あ……そんな。
 ソヤは。
 ――何の為に。
 身を鬻いだのか。
 ――……。
 ……ソヤ。
 ――ソヤ?

 幾ら喚べど叫べどソヤは応じない。
 ソヤの存在が感じられない。ソヤの中にソヤが居ない。今迄気が付かなかった。
 吾身と想い動かして居たのはソヤの抜け殻だ。ソヤの心は何処へ。何時から。

 ――消えた。
 しん、だ?
 ――ソヤがしんだ。
 死んだ!!

 血染めの巫女は眼を金に光らせて征夷軍を睨めた。胸中の黒渦が脈打った。

 ――……御前。
 おまえたち。
 ――穐原。
 おのれ。
 ――よくも。
 うらめしや……!

 終はレタルチャペの思考と同調して仕舞う。それが己に由来した想いなのか、レタルチャペの強過ぎる思念に引き摺られているだけなのか、解らぬ侭。
 抑えたくとも抑え難い情動は薄弱な意思の堰を容易く切って忽ち溢れ出す。

 のろってやる。祟り殺してやる。
 いっぴきのこらず噛み砕いて引き摺り回して抉って叩き潰してやる!
 おまえたちが死に絶えるまで、毎日、何度でも、永劫殺し続けてやる!
 おまえたちの血も肉も骨も怨嗟も断末魔も魂も――凡て! 喰うてやる!
 喰うてやるぞ!

 あァきはらァ――ッ!

 全身に朱が駆け巡る。地面が遠退く。力が溢れる。からだが――膨れて――。

 終の視点は随分高い位置から前方の征夷軍を見下ろしていた。
 高い霊威を持つソヤの肉体は亡骸と成って尚、潤沢な朱を蓄え続けていた。
 これ迄殆どの場合自己由来の力のみを発現して来た終――レタルチャペは、ソヤの肉を触媒に己の力と存在を朱で増幅させる事に依って、山程もある大きさの白虎へと変化した。

 全員殺す。

 前足を踏み出す度、後ろ足を蹴る度、尻尾が揺れる度、死体が跳ね飛ばされて大地が抉れた。恐慌を来した芥の如き侍と雑兵の群は其の上を通っただけで幾らでも死んだ。牙を剥けば十程が口内で肉片と化し、爪を走らせれば一薙ぎで五十程がばらばらにもげて只の物になった。

 又本陣から厭な氣が澱む。

 だが此度は僅か十歩駆ければ其処に辿り着いた。十歩目にして幕に囲われた何らかの儀式の場は勝手に潰れ、居合わせた宮司やら術師やらは音も無く絶命した。
 併し、死屍累累の本陣の中で、ソレだけは朱く胡乱な輝きを放つ事で自らの存在を妖しく強調した。
 ――陰陽珠。
 無職透明と黒が絡み合う模様の球体。朱昏の理の一端を担う強力な呪物。
 これを用いて征夷軍は神夷の軍勢を二度に亘り虐殺したのだろう。
 ならば、私がこれを得れば――貴様等を幾らでも食い散らかす事が出来る!
 終は陰陽珠を咥えて一息に呑み込む――ソレは終の体内でソヤの元へと辿り着き――其の胎内に吸い込まれ――ソヤから凄まじい氣が放出され――終は吼えた。
 空が裂けんばかりの戦慄きが戦場を突き抜けて何処迄も木霊し、それだけで夥しい数の者達が魂すら砕かれ、ばたばたと滑稽な顔で果てて逝った。
 征夷軍は烏合の衆と化し、誰もが恐れをなして蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う。
 ――これは……ち、か、ら、が……!
 御し切れぬ程強力な金氣は終の中で最早竜巻と化した黒渦共共暴れ廻った。
 溜らずに今一度咆哮し、やり場に窮した力を持余して、戦場の外へと駆けた。
 誰一人挑もうとも阻もうともしなかったが、
「――レタルチャペ!」
 神夷の者達の死骸の側から、不意にあの優男の大聲が、耳に飛び込んだ。
 其の途端、毛並みすら漲る朱の暴走が、俄かに止んだ。
 ――槐。
 終は立ち止まり、遥か遠くで鬼面を外す男の、悲壮な眼差しを見据えた。
 かと想えば――、

 急激に周囲の情景が渦に溶けて朱色に染まる。何も見得なくなる。聞えなくなる。自分が何処に居るのか、一切解らなくなる。
 ――今度は何だ。
 未だあの戦場でレタルチャペとして槐と視線を交わしているのか、はたまた置いていかれたか、或は先んじて何処かに向っているのか。此処は、向うは、何だ。
 酷く不安だ。自分が何なのかさえ解らなくなって来る。
 ――誰か――何か――無いか。
 そう想った終の眼前に、幾つかの歪みが生じた。
 それらは次第に何らかの、それぞれ別個な姿形を成して、ゆっくり漂う。
 どれにも手を伸ばせるが、ひとつひとつの間隔が妙に空いていて、一度に触れる事が出来るのはどれかひとつなのだろうと、自然にそう感じ取った。

ご案内

お待たせ致しました。雪深終(cdwh7983)さんの状況をおしらせします。

朱の渦へと身を委ねた終さんは、どうやらレタルチャペカムイの視点から五十年前の出来事を断片的に追体験しているようです。ところが、過去の槐と目を合わせた途端にそれが途切れてしまいます。ここがどのような場所なのか、そもそも物理的に存在する場所なのかも分からず、ついには自分自身を自覚することさえ難しくなってきてしまいました。そんな終さんに手を差し伸べるように、何かが浮かび上がってくるのですが……?

!注意!
こちらは下記のみなさんが遭遇したパーソナルイベントです。

●パーソナルイベントとは?
シナリオやイベント掲示板内で、「特定の条件にかなった場合」、そのキャラクターおよび周辺に発生することがある特別な状況です。パーソナルイベント下での行動が、新たな展開のきっかけになるかもしれません。もちろん、誰にも知られることなく、ひっそりと日常や他の冒険に埋もれてゆくことも……。
※このパーソナルイベントの参加者
・雪深 終(cdwh7983)
※このパーソナルイベントの発生条件
企画シナリオ『【瓊命分儀】いんくんし』の結果による

■選択肢
目の前には以下の五つのものが漂っています。
=====
常に持ち歩いている簪(本来の雪深終さんを象徴します)
骨董品屋『白騙』にて購入した懐中時計(現在の槐を象徴します)
トラベルギア【雪月花】(現在の雪深終さんを象徴します)
左顔面相当の割れた鬼面(レタルチャペカムイと槐の「繋がり」を象徴します)
ソヤの屍蝋(レタルチャペカムイを象徴します)
=====

雪深終さんは、「これらの中からひとつだけ」選んで触れることができます。

どれを選んだかによって、この後おかれる状況が変わります。また、「選ばない」こともできますが、その場合、ご自身を保てなくなる可能性が高くなり、たいへん危険です。※状況によっては一時的にNPCとして扱われることもあります。

選ぶ・選ばないにかかわらず、ここまでの追体験を踏まえたうえで、強く思うことや願うことを思い浮べることができます。思い浮べる内容によっては同じ選択肢でも異なる結果になるかもしれません。


このイベントはフリーシナリオとして行います。このOPは上記参加者の方にのみ、おしらせしています。結果のノベルが全体に公開されるかどうかは結果の状況によります(参加者の方には結果はお知らせします)。

なお、期限までに参加者のプレイングがなかった場合、「トラベルギア【雪月花】」を選択したうえで、「自分を保つための最善の努力をした」ものとします。

■参加方法
(プレイング受付は終了しました)

結果

→→→結果として次のパーソナルイベントが発生しました!


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螺旋特急ロストレイル

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