世界樹調査隊
ノベル
~後編~
■ 選択 ■
(こりゃあ確かに美味そうだ)
奇兵衛は思った。
食べれば、なにもかも手に入れられそうな、そんな力の塊だ。
あるいは願いをかなえてくれる奇跡の実。
(願えばあの子が戻るやも――)
そんな想念がよぎる。しかし……
(冗談じゃない)
ふっ、と頬をゆるめた。
(ああ つまらない下らない)
こんなもので願いをかなえたって。奇兵衛は果実を手にとり、しかし、食べることも願うこともしない。
森間野・ロイ・コケも、その実を大切に持ち帰ることにする。
(コケの願いはもう叶えても無意味)
なら、このチャンスはみんなのために活かさなくては。
コケは、果実の声を聞こうとする。
……通常の植物とは違い、打てば響くようないらえはない。しかし、その中に、億千万の人の声がさざめいているかのような、圧力のようなものをコケは感じた。いうなれば高密度の情報のブラックホール。植物なら、コピーすることができる。劣化したものでもいいから複製がつくれないかとコケは考えたが、できたとしても、実物にはあまりにかけはなれたものしかできそうになかった。
よし、持ち帰ろう、とデュベルも決めた。
そして、考えるのだ。
(生で丸かじりか、焼くか、ジュースにするか……一番美味い使い方を、なんてな)
なんにせよ、今ここで使い道を決めてしまうのは早計にすぎると思ったのである。
一方――
人狼公リオードルその人のまえにも、その果実はあった。
リオードルは魅入られたように、それを見つめる。
そしてその背中を、一二 千志が睨んだ。
(流転機関は必要――)
それは理解する。しかし、そのこととリオードルの野心を見逃すかどうかは別。
彼はナラゴニアの王になったからといって、それだけで満足するとは思えなかった。この男は必ず、0世界に戦乱をもたらす。
……やはり、止めなくてはならない。
「我は願う」
リオードルは果実にふれた。そして願いをかなえようとした、その瞬間!
「!」
千志が攻撃に移った。
「一度戦った相手に負けることはない、そう言ったな。だが、その相手がいつまでの変わらないままだと思うか!」
人狼公のガトリングガンが火を噴く。
だが千志の身体は影の甲冑で覆われていた。だからなおも、彼は踏み込む。
だからリオードルは武器を鈍器として振るった。重い一撃が腹に埋まる。だが、それこそが狙いだった。
「かかったな!」
ほんの一瞬、ほんの一部でよかった。ただ触れればそれでいい。千志の身体を覆う影が、瞬時にリオードルの武器をも覆いつくし、続いて武器をもつ腕から肩、胴体へと、這い登っていく。
「こ、の……!」
「実体がないから引き剥がせまい。どうする。この影はいつでも刃になる。全身を貫かれることになるぞ」
影に縛り上げられ、リオードルが膝をついた。
激しい怒りに燃える目が千志を見返す。そのとき、千志は気づいた。
「……おい、果実はどうした」
にやり、とリオードルが笑うと、口の端から牙がのぞく。
「喰ったのか!」
――どくん。
リオードルの身体の中に凄まじいエネルギーのみなぎりのようなものが生まれるのを、千志は感じた。
(食べてしまいましたか)
ラグレスは、放った端末を通して、リオードルの様子を観察していた。
リオードルの咆哮が空気を振るわせる。
ラグレスは手にした果実を掲げる。
これを喰えばリオードルと同じだけの力を得る。しかし、おのれを保てないかもしれない。ならば。
ぞろり、と自身から切り離した分体に、果実を喰わせる。
膨れ上がる宇宙的なパワーの内圧。
(分離しても私は私。この公明正大な人畜無害ぶりが存続せんことを)
青い瞳が油断なくおのれの分体を見つめる。
ヴェンニフ 隆樹の、いや、大川隆樹の中に衝動が高まる。
この果実はひどくうまそうだ。
これを食べれば、イグシストを滅ぼす力を得られるかもしれない。だからこんなに魅惑的に感じるのか。
(いや。……わかっているな、ヴェンニフ)
おのれに言い聞かせる。否、おのれの中の異なる存在にだ。
(イグジストの力でイグジストになれても無意味だ)
(無意味だろうか)
自分であって自分でないものが応える。
クランチは世界樹の根を喰らおうとした。世界を喰うイグシストを喰えば、あるいは。
気づいたときには、その実をかじっていた。
「っ!」
力。力の奔流。虚空から流れ込んでくる。
「ヴェン……ニフ……!!」
隆樹は絶叫した。
「イグシストの――力、だと……! こんな、ものを――僕は……あああああ!」
(この実を食べれば)
脇坂一人は考える。
(私にも、力が手に入る。非力だった自分にも)
たくさんの顔が、頭の中に浮かんで消えた。
泣いている顔。笑っている顔。
(みんなの願いを、かなえられる)
果実に触れた。
そのまま、口へ。
(でも)
親友の、泣いている顔が浮かんだ。
「だめ!」
実を口に運ぼうとした自分の手を、もう一方の手で止める。
「……もし自分じゃなくなったら一緒に居られない」
もう置いていかないと決めたのだ。その約束は破れない。
一人は、両の手のなかに果実を包み込み、自身の胸に抱いた。
「私は何もいらない。でも、どうか……」
彼は願った。果実に願いをかけたのだ。
『この場に居る者の命と果実の力を、損なわずに持ち帰らせて』
――願いはかなえられた。
「……っ、があああ……っ!」
「……」
「ああ、あ……」
リオードル、ラグレスの分体、ヴェンニフ 隆樹。果実を食べた3者を見舞った異変がただちに収束した。おのれの内側からあふれだし、荒れ狂っていた力の残滓に、かれらはもんどりうって倒れた。
リオードルは、千志の影に縛り上げられたまま、意識を失っていた。
ラグレスの分体は、大人しくじっとしている。
隆樹は、激しい動悸と息切れに喘ぐ。
脇坂一人の願いにより、かれらの命と果実の力は「損なわずに持ち帰られる」ことになったのだ。
「願い、ねえ……」
ジャンガ・カリンバは、がしがしと頭を掻いた。
この果実は願いをかなえてくれる。しかし。
「自分で叶えたい願いは自分で叶える性質でね。しかも、今のところは特にねぇのさ」
思わず、ひとりごちた。
「だが……そうだな」
ジャンガは、そもそもこの調査隊の目的が何だったかを思い起こす。
「こういうのはどうだい」
彼は願った。
『世界図書館が流転機関を手に入れられますように』
――願いはかなえられた。
瞬間、そのまま持ち帰ることになった奇兵衛、コケ、デュベルの果実が、その形を変性させ、見たこともない機械の部品になった。かれらは瞬時に『理解』する。これを組み合わせれば、『流転機関』が完成すると。
(私の願いは一つ)
ラス・アイシュメルは果実を手にした。
期待などしない。だが、迷いはなかった。
「さあ! 僕の願い、叶えられるなら叶えてみせろ!」
彼は願った。
『私が私のままで、理解でき実行できる望んだ相手に「消失の運命」を引き起す方法。それが欲しい!』
――願いはかなえられた。
乾いた風の吹きすさぶ荒野の風景を、彼は幻視する。
ずしり、とした重み。手の中の果実は、古びた拳銃になっていた。ラスは『理解』する。
この銃は、いまだ世界図書館が到達していない世界のひとつ『無頼の荒野・ガンレルム』よりきたるもの。一発だけ装填されている銃弾こそ、かの世界で創造されし「真理弾」だ。ロストナンバーではないものがこの弾丸に撃たれると、命のかわりに真理数を失う。
■ 撤退、そして ■
「さあ、『流転機関』は入手された模様です。撤収致しましょう。みなさんすみやかにお出口へ。合言葉は“お・か・し”。押さない・絡まない・死なないでございます」
ドアマンが高らかに宣言する。
調査隊の撤退が始まった。
「乗ってください!」
牛になったソア・ヒタネが引くリアカーに、負傷者や意識のないものが乗せられる。
そして彼女は全力全速で駆け出す。自分にできることをせいいっぱい行うために。
「撤退経路なら、作ってやるぜーーー『モーゼ・ショット』!」
ナイン・シックスショット・ハスラーが打ち出す魔弾は、安全な逃走を約束する奇跡の道。
そこをたどって、調査隊は駈けてゆく。
だが全員がただちにひとつのルートに集合できるわけではない。押し寄せる波のように、怪虫たちが集まってきた。流転機関の部品に形を変えても、それが「果実」であることがわかるのだろうか。
「邪魔だから、吹き飛びやがれ!」
シィ・コードランが武装バイクの全武装を解放。怪虫たちを撃墜しながら爆走し、道を開く。
「こっちだ、早く!」
影から飛び出してくる狼は仁である。
まだまだ調査したりなそうなものの首ねっこをくわえる勢いで撤退を促した。
「『崩れ去る遺跡には深追いするな』。これ、アンダーテイカーの常識な!」
光の弾幕を張り、人々を守るのはセルゲイ・フィードリッツだ。
「長居は無用です」
万が一にも取り残しのないよう気を配りながら、殿の一翼を担った。
そして――
無事、世界樹調査隊は一人の犠牲者もだすことなく、撤退に成功したのである。
*
「本当に『流転機関』なのね?」
「間違いないようです」
アリッサは何度も報告を確かめる。
「それじゃ……」
ロストレイル13号を発進させることができる。
世界群の果て、まだ見ぬディラックの空の彼方へと。
「リオードル公と、果実を食べちゃった人は?」
「今のところ健康に被害はないようです。……というか、特に以前と変わる様子がないとか。食べた直後は、自分で制御できないほどの力が沸いてきたように感じたそうなのですが、今はまったく感じられないそうです」
「そう……。しばらく注意するようには伝えて。リオードル公の様子はどうかしら」
「発見物は世界図書館のものとすることは約束どおりである、と。探索に協力してくれたことは感謝すると仰っていました」
*
「功を焦ったか。腹立たしい」
どすん、とリオードルはテーブルを叩く。
ロックが茶を注いだ茶器が、がちゃん、と音を立てて跳ねた。
「ロック。何も考えずに暴れられる場はないか」
「……御用立て致しましょう。異世界へ狩猟旅行にでも行かれては」
「それはいい」
「ユリエス殿から正式に抗議がきていますが」
「明日にでも会おう。……ロック、ひとつわかったことがある」
「はい」
「……世界樹を侮ってはいかん。腐っても神だ」
ぎり、と人狼公は苦虫を噛んだ顔になる。
どくん、と、その身のうちで、なにかが拍動した。
(了)